特集 連載 新島って、ロックだ‼︎
寝ても醒めてもふりむけばそこにロックな町並みがあった
Posted on 2020年5月17日
江戸時代から続く石の風景
島で生きる人にとって海は、時に日々の糧を与えてくれる恵の地にもなれば、時に外界からすべてを遮断し、命を容赦なく奪っていく恐ろしい怪物にもなる。ここに逃れる場所はない。受け入れて、生きていくしかないのだ。だから、ないものは自分で作る。あるものは、最大限に活かす。そうした島で生きる人々の営みは、全国でも稀に見る「石の村」を生み出すことになった。
「新島ってどこまでいっても石だな」
ある旅人が、そうつぶやいたのを聞いたことがある。ミルキーブルーの爽やかな海や、花と緑の鮮やかな景色からふと目を移すと、そこには必ず石がある。石塀に石垣、石の家、納屋に石倉、小さな祠。一瞬コンクリートと間違えてしまうけれど、岩肌はざらざらして凹凸があり、透明な粒子が光を反射して輝いている。
白かと思えば赤味がかったものや、濡れたように黒いものもある。ふぞろいな石を、パッチワークのように貼り合わせたものもある。どこか温かみのある風合いと、島らしいおおらかさを感じさせるコーガ石の町並み。最近ではコーガ石をバックに写真を撮るのが流行っているというが、なるほど確かに絵になる風景だ。
通称石山と呼ばれる向山のコーガ石埋蔵量は、およそ10億トンといわれる。水に浮くほど軽く、ノコギリでサクサク切れて加工もしやすく、なおかつ火にめっぽう強いという便利な石が険しい山の上に眠っていることを、いったい誰が見つけたんだろう。
くわしいことはわからないが、最も古い記録では今から300年以上前の江戸時代中期に本村(ほんそん)地区にある十三社神社の石垣や流人墓地の墓石、集落に点在する祠「カミサマ」などにコーガ石が使われたことがわかっている。
やがて大正時代にコーガ石の建材としての価値が注目され、石山での採掘が本格化すると、島内でもコーガ石の建物が盛んに建てられるようになった。役場や郵便局などの公共施設はもちろん商店、住宅、倉、豚小屋にいたるまで、ありとあらゆる場所が石造りに大変貌。
今では数が減ってきたものの、新島の本村や若郷(わかごう)地区、隣の式根島(しきねじま)ではコーガ石の建造物がまだまだ残されている。歴史に思いをはせながら、コーガウォーキングを楽しむのもよさそうだ。





photo by 岸本咲子
design by 西山里佳
text by 秋枝ソーデー由美
*こちらはフリーペーパー『にいじまぐ』vol.1(2017年8月発行)の特集記事を転載したものです。記事の内容および写真は掲載当時のままとなっており、一部情報が古いものもあります。あらかじめご了承ください。