特集 連載 新島って、ロックだ‼︎
新島ロックヒストリー
Posted on 2020年5月20日
オトコもオンナゴも石山へ向かった
「島の人は皆なにかしら石に関わっていたよ。男衆だけじゃない、女衆もだ。男衆は石を切って、加工する。ケンチ石(検知石、見地石)といってな、3寸(約9cm )から6寸(約18 cm)まで、決められた大きさに切って納めたんだ。石を切った時に出たズリ(くず石)をトラックに積んで、捨てに行くのは女衆の仕事だ。オラは運転手もやってたからよ、トラックに女衆を乗っけて現場に行くわけだ。でも石が軽いもんだからさ、捨てると海に浮いちゃってよ。漁の網に引っかかると苦情がきて、場所を変えたりしたな」
そう話すのは石山採掘場で最後まで働いていた職人のひとり、青沼虎松さん。御年85 歳、島では屋号で「ジュービー」と呼ばれる、現役の石切り職人だ。
新島の石山では民間企業が採掘を行うほかに、「自家用山」と呼ばれる島民専用の採掘場があったという。始まったのは明治時代末期で、1955年(昭和30年)にコーガ石採掘が村営事業化されるまで確保されていた。石山内に地区ごとの鉱区が設けられ、各区の住民が必要に応じて石を切り出す。その一部を村役場に納品して、残りは家に持ち帰るというシステムだ。こうすることでコーガ石は島外販売用だけでなく島内にも広がっていき、人々は石山で石を切っては家を建てた。
「夏は漁に出るから、冬になると山へ入って石を切ったんだ。背負えるぶんを持って、残りは名前を書いて山に置いていく。そうやって何度も通ったんだ。よういに(一生懸命)男も女も石山で働いたなあ。3時になると下っ端が村まで行って、まんじゅうや酒を買ってきたりしてな。代金はお金のかわりに石で払ったこともあるよ」
採掘技術の向上と需要の高まりで、70年代にはコーガ石の年間生産量は約 44万才(約787㎥)をマークするなどピークを迎えた。その一方で、新島に年間10万人もの観光客が押し寄せる一大観光ブームが到来。古い石の家は壊されたり、民宿などに増改築されたりした。けれどブームは去り、コーガ石の需要もバブル崩壊とともに激減。2007年(平成19年)に村営事業は終了した。最盛期に多くの民間企業や石材業者が出入りしていた石山も、今は1社が採掘するのみとなっている。
水に浮かぶほど軽い石は、今はほとんど採れない。それでも島の人が「硬石」と呼ぶコーガ石は採掘が続いており、煙突や化学プラントの内貼り材として人気だという。高熱と酸化に強いコーガ石の底力は、まだまだ発揮されている。
「オラはこの仕事を50年以上やっちゅうよ。今は山の下で働いているけど、やっちゅうことは石山と同じだ。石山に人がいなくなって寂しいかって? 寂しいもんか。こうして石の仕事ができちゅうもの。それに石山は廃山じゃなくて休山だ。山に行けば石はある。切れば、あそこにあるんだ」




山さえ行けば、石はある。
photo by 新島村博物館
design by 西山里佳
text by 秋枝ソーデー由美
*こちらはフリーペーパー『にいじまぐ』vol.1(2017年8月発行)の特集記事を転載したものです。記事の内容および写真は掲載当時のままとなっており、一部情報が古いものもあります。あらかじめご了承ください。