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気になる「あの人」に聞いてみた!新島工業所 植松倫太郎さん

Posted on 2024年7月13日

観光の島として変化の時を迎えている新島。さてどうする、どうなる? 島内がざわめくなかで、気になるあの人に直撃インタビュー!

“観光の島・新島”が揺れています。2年前の2022年、島の観光をリードする新島観光協会が会員の総意によって解散。地域おこし協力隊を導入し、3年間という期限つきで行政主体の観光案内所が2023年4月にスタートしました。

コロナ禍を経て観光へのニーズが変化するなか、これからの島の観光をどう盛り上げていくのか? そもそも新島は観光の島としてどうありたいのか? 1年半後にやってくる観光案内所の終了を見据えて、官民さまざまな議論が飛び交っています。

そんななか、にわかに注目を浴びている人が、ひとり。地元で建設業を営む新島工業所の3代目社長、植松倫太郎さんです。ゴリゴリの建設業社長でありながら、あるときは音楽を愛するレゲエDJ、あるときはスケボー愛が高じてスケボー場を建設しイベントも開催、そして今後は島の空き家問題や観光産業にも参入するとか⁉

「関わった人とはずっと仲良くしたい」という“ニイコーのりんちゃん”とはいったい何者? その謎を解き明かすべく、2時間たっぷり語っていただきました。新島愛が爆発するパワフルなインタビューをどうぞ。

 

雨に遊び海とたわむれる、新島が大好きな男です

――本日はありがとうございます。今日はぜひ、りんさんのことをいろいろ教えてください。

株式会社新島工業所、新島で建設業をしています植松倫太郎です。なんか、恥ずかしいね(笑)。生まれも育ちも新島で、3人兄弟の長男。下は2人とも弟なんだけど、うちの身内はなぜか昔から男しか生まれなくて、男しかいない環境で育ったんだよね。

子どものころから外で遊ぶのが好きで、特に雨が降るとテンションが上がるタイプ。雨になると外に出たくてしょうがなくて、びちょびちょになってサッカーやってたなあ。今でも何か大事なことがあると、必ず雨が降るんだよね。今日もそう。「雨降ったら困るときは、りんを呼ぶのはやめよう」とまわりに言われるくらいの雨男。でもオレ自身は雨が好きだから、嬉しくなっちゃう。

新島の人はみんなそうだと思うけど、遊び場といえば海だよね。サーフィンは中学時代にちょっとだけかじって、本気でやるようになったのは高校から。やろう!と思ってやったという感じじゃなくて、学生時代って目立ちたいとか、モテたいとかいう動機しかないじゃない。「サーファーはカッコいい」ってみんな思っていたから、自然とサーフィンをやるようになった。

とにかく学生時代はサーフィンに夢中だったな。今でもずっと続いている趣味は、サーフィンだけ。波に乗るって、よっぽど気持ちがいいんだなって思うよ。

 

モノづくりに目覚めて、とつぜん仕事が面白くなった

――新島の場合、実家がなんらかの商売をしているパターンが多いですよね。りんさんは、最初から家業を継ぐつもりだったんでしょうか?

学校を卒業して何年間か東京にいたことがあるんだけど、いずれ新島に帰ろうと最初から決めていたんだよね。ただ、家業を継ぐことはまったく考えていなくて。新島工業所はうちのじいちゃんが立ち上げたんだけど、親父に跡取りだと言われたことは一度もなかった。よくも悪くも放任というか、自由。オレがやることに対して文句を言ったこともないし、やりたきゃやればいいという感じ。ニイコーも自分の代で終わっていいと思っていた気がする。

そういうこともあって、20代は遊んでいたなあ。サーフィンやって、音楽やって。新島に帰って来たばかりのころは1つ下の弟とレゲエDJをやっていて、「オレたちはMITHY CROWNになるんだ!」ぐらいの勢いで、月1~2回は東京へDJしに行ってたんだよ。

本気で仕事と向きあうようになったのは、30歳になったころかな。それまでも現場は手伝っていたんだけど、本気でやってないから楽しくなかったんだよね。それが、なんでだろうな、ホントに突然モノづくりが面白くなってきて。オレ、一度「ちゃんとやろう」と思うと、どんどんハマっちゃうところがあって、道具とかそろえちゃうわけ。ほら、テンションあげたいじゃない? どんどんポチポチして、しっくりこないと人にあげちゃったりしてさ(笑)

そうやって建設の仕事がどんどん楽しくなっていったんだけど、島の建設業界って狭いから、これをやらなきゃいけないとか、これはやっちゃいけないとかいう暗黙のルールがある。もちろんそれで成立してきたこともたくさんあるんだろうけど、筋さえ通せばそこまでこだわらなくてよくない?と思うようになったんだよね。

関わった人とはずっと仲良くしていたい

――新島の場合、家によって工事を頼む工務店が決まっている、というようなしきたりが昔からあります。それが3年ほど前にニイコーさんがinstagramを始め、チラシを配って「家の困りごと無料相談承ります!」とPRを始めたときは、島じゅうビックリしました。島内の建設業者さんとしては、今までになかった動きです。あれはりんさんの考えですか?

そうそう。ニイコーは先代までは公共事業ばかり手がけていて、島の人とはあまり関わっていなかったのよ。でもオレは、島の中をうろうろしてオバちゃんとしゃべったりするのが好きでさ。新島の人ってイケイケに見えるけど、シャイなところがあるじゃない? だからしゃべっていると「りんちゃんにお願いしたいことがあるんだけど、頼んでいいのかな?とずっと思ってた」と言われることがわりとあって。

親戚づきあいを大切にしたいのであれば、もちろん今までどおりでいいと思うけど、誰に頼むのかというのは家の人が決めればいいじゃない? 他に安いところがあれば、そっちに頼みたいかもしれないし、家の人が納得して選ぶことが大事かなとオレは思う。

▲島じゅうに配布された話題のチラシ

 

それでオレが社長になってから、民家の仕事を請け負うことにしたんだよね。親父は昔の人だから、「お前そんなこと本気でやるのか」みたいな感じで、やめろとは言わなかったけど気にしていたかな。でも、別にむりやり横取りしたいわけじゃないし、うちに頼むなら相手には「親戚のところにひとこと言ってくれたら助かるかな」というような話はするかな。

最初はよく思っていない人もいたかもしれないけど、2年ぐらい続けていたらもう何も言わなくなったよね。オレとしては仕事としてお金をもらってやっているわけだけど、困っていたら助けてあげたいし、関わった人みんなとずっと仲良くしたいのよ。「こんな話しやすい社長いるんだね」ってよく言われるけど、そういう社長がいたっていいじゃない? 新島の社長がやらなかったことをやっていきたいなと思っているかな。

スケボーにハマって3か月後にはパークをつくっていた

――りんさんといえば、羽伏浦にスケートボード場を建設して一般開放したり、サーフィンとスケボーを組み合わせた大会「Niijima Surf×Skate Festival」を主催するなど、新島にスケボー文化を根付かせた仕掛け人というイメージがあります。

スケボーを始めたのは遅くて、40歳ぐらいのとき。最初は知り合いが持っていたコンクリート製のパークで遊んでいたんだけど、サーフィンと違ってコンクリートは転ぶと痛くて、とにかく怖かったわけ。それがある雨の日に、先輩が室内用のランプに連れて行ってくれて。そしたら、なんだこれ!ってくらい楽しくて、とにかく1日中ずーっと滑ってた。

それで3か月後には、羽伏浦にランプをつくっちゃってたよね(笑)。あまりに楽しかったから、「自分だけじゃなくて、みんなで滑れたらいいな。できれば海のそばで、波があるときはサーフィン、波がないときはスケボーで遊べたら最高」と思うようになって。そう考え始めたらいてもたってもいられなくて、村役場に相談に行ったんだ。

▲羽伏浦スケートパークのミニランプ。老朽化により現在は2代目

 

羽伏浦のメインゲート前にイベント用の駐車スペースがあって、長い間使われてなくて草ボーボーの場所だったから、「ランプをつくりたいから場所を貸してほしい」と交渉して、許可をもらうことができた。よしランプつくれるぞ!と思ったのはいいけど、材料費もないし、どうやってつくるかもわからない。

当時はクラウドファンディングなんて言葉もなかったので、ひとりで島じゅう歩いて「新島にスケボーができる遊び場をつくりたいので寄付してもらえないか」と直接お願いに回ったんだよ。最初はサーファー仲間を中心に回ったんだけど、口コミで「りんが何かつくりたいらしい」という噂が流れたみたいで、道端を歩いていたら「スケボーのなんかつくるズラ?」といって1万円をもらったこともあったね。それで最終的に150万円くらい集まったの。

――ひとりで150万円集めたんですか??

そう。まわりもみんなびっくりしてたよね。それで材料を全部買って、知り合いに頼んでランプの設計図をもらって、みようみまねでつくり始めて。ニイコーのみんなもスケボーやってるやつが多いから、みんなでつくることになったんだけど、給料出せないから毎日夕方5時に仕事終わってから夜11時まで作業してたんだよ。異常だよね、40歳だよオレ(笑)。

▲ランプ建設中の様子。当時は仕事の後に夜な夜な作業

 

自分がイイ!と思ったものは、みんなとシェアしたい

――今ではりんさんがつくったランプでスケートを楽しむ子どもたちが増えてきましたよね。

あのランプをつくってからスケーターがどんどん増えてきて、「何かが変わった」という手応えを感じたのはすごく嬉しい。自分たちがスケボーやりたくてつくったランプだから、最初は「ここはオレたちの場所!」みたいに他の人が入りづらい空気をつくってしまったところがあると思う。でも、それがだんだんイヤになって、「こんなにいいものがあるんだったら、もっとスケボーはやらせちゃおう!」と思って、どんどんオープンにしていこうと思ったんだよね。

オレは自分が楽しいことは人にもやらせたくなっちゃうところがあって、「ぜったい楽しいから来いよ!」って誘うようになって。まあそのおかげで餌食になったやつもいたけどね。島の外から職人が来たときも、仕事後にランプに連れてきて、「小さいランプからやりたい」と言っても「ダメだ!でっかいところから行け!」といってやらせたり。そいつプルプル震えちゃってて「ランプがこえーの、オレがこえーの」「どっちもです」みたいな(笑)

▲Niijima Surf×Skate Festival2019より。出場する子どもたちも増えてきた

 

Surf×Skate Festivalもそういう流れで始まったんだよね。サーフィンだけやる人、スケートだけやる人、両方やる人を集めて大会やったら楽しいんじゃないか?と飲み会のノリで話が出て。ただ、あのランプはみんなのお金でつくったものだから、寄付してくれた人を集めて「ランプでイベントをやりたいんだけど、反対が一人でもいればやらないから、反対の人は今言ってくれ」と言って意見を聞いたんだ。そこで全員賛成してくれたので、やろうということになったんだよ。

実際やってみたら本当に大変で。まず、金がない。でもしょぼい大会にはしたくなかったから、実行委員会の仲間と同じような大会を開催している湘南の人に相談に行ったり、事務的なことをしてくれる仲間が補助金を探して申請してくれたり、後は島の社長たちに相談してみようということで企画書をつくって「子どもたちと一緒に新島の横乗り文化を盛り上げたいから、スポンサーになってくれないか」とお願いに回ったの。そしたらみんな快く引き受けてくれて、ありがたかったなあ。

▲Surf×Skate Festival2017より。サーフィン大会の様子

 

▲Surf×Skate Festival2017より。プロによるエキシビション

 

とにかく委員のみんながそれぞれに自分の役割を引き受けて、一人一人が考えて動いてくれて、オレは決定するだけという感じだったから開催できたんだと思うよ。本番ではむこうからプロサーファーとプロスケーターを呼んだりしたんだけど、遠いところでは青森から来てくれた人もいたし、視察に行った湘南からも、ホントにいろんな人が参加してくれて盛り上がったから、大会が終わって港でバイバイしたときは、すっげえやりきった感だったな。

そのあと3回やってコロナで止まってしまったんだけど、今年の秋に5年ぶりに開催しようということになったんだよ。ただ、以前から環境も変わっているし、今までどおりのやり方じゃムリだと思う。それで、ランプをつくったときと同じで「オレたちの大会!」みたいにやるんじゃなくて、島の人がみんなで楽しめるお祭りにできたらいいなって思っていて。

このイベントで一番怖いのは、波がなくてサーフィンできなくて、雨が降ってスケボーできない場合。オレがいるからぜったい雨降るかなと思ったけど(笑)、今まで一度も雨降ってないし、波がないときもなかった。たとえ最悪そうなったとしても、他に楽しめるものがあれば成立するんじゃないかな。

▲Surf×Skate Festival2019より。スケート教室で子どもたちを指導する倫太郎さん

 

新島を元気にするには観光業しかない

――りんさんは、自分が好きなことをやりたい!という気持ちが全ての原動力になっている気がします。そういうなかで今、観光に興味があると聞きました。観光に気になり始めたきっかけはなんだったんでしょうか?

オレは生まれたときから新島に住んでいて、離島ブームですごい人が来ていたピークの新島も見ているから、今の新島を見ていると、とにかくさみしくて。観光のお客さんは減っているし、若い子はみんな島を出ていく。このまま何もしていないと、島の子は帰ってこないし、お客さんも減っていくし、取り返しのつかないことになるんじゃないかと感じることが多くなってきたんだよね。

オレはとにかく新島が好きだから、島のために何かできないかとずっと考えていて。それには観光業をどうにかするしかないんじゃないか?というところにたどりついた。新島にはいろんな商売を営んでいる人がいて、みんなそれぞれにがんばっていると思うんだけど、一体感がない気がしていて。個人で動くことでうまくいく人もいるのかもしれないけど、小さな地域で進んでいくなら、気持ちだけでも一緒に向かっていけないかな?って思う。

島の人みんなが「新島ってこうなりたいよね」っていう同じ意識を持つことが大事なのかな。新島の観光が盛り上がれば、宿だって飲食だって、全部が発展してよくなっていく。それだけじゃなくて、建設もそう。一見すると無関係に思えるけど、新島が観光地として価値があるから公共事業も生まれるんだよね。

島に人がたくさん来れば、お金も落ちるし、仕事もできる。でも人が来なければ金は減るし、仕事も減るし、人口も減るし、税収も減る…どんどん島が過疎化に向かっていく。このまま何もしなければ、きっとそうなる。だから、新島が観光地としての価値を高めることが自分のためになるっていう意識をみんなが持てれば、みんな一緒にあがっていけるんじゃないかなって思うんだよ。

―観光業じゃない人も新島にはたくさんいるけど、全ての事業が観光につながっているということですね。

そうそう。前は、観光のことは誰かがやってくれると思っていたの。だってさ、工事現場を見て「工期が遅れているけど間に合うのかな、こんなやり方じゃ赤字じゃないの」って誰も心配しないよね? それと同じで、観光のことなんて全く気にもしてなかった。オレは建設やるから、そっちはそっちでやってくれよって。でも、もうそんなこと言ってる場合じゃないかなって思うんだよね。

観光業といっても何をやるというビジョンはなくて、まだ手探りなんだけど、新島の観光の窓口になれたらいいなと思っているんだよね。「あそこにりんちゃんがいる」ってみんなが思ってくれれば、観光協会がなくなって今みんながバラバラになっているところをどうにかできるかなと思うし、これをきっかけにみんなと話せたらいいなって思う。

とにかく誰でもいい。なんでもいい。「明日、雨?」でもいいよ。ふだんはチャリで走っているから、島のどこかで見かけたら「やーい(おーい)、りんちゃん」って話しかけてほしい。島には能力はあるけど埋もれている人もいっぱいいると思うし、「この人ってこんな面白い人だったんだ?」って発見することもあるんじゃないかな。そういう人たちの存在が、オレがいることで見えてきたらいいなって思う。

もう形にとらわれなくていいんじゃない? そもそも建設業のオレが観光やりたいって思っている時点で、昔じゃ考えられないでしょ(笑)。この記事を見た人が、オレのことに興味を持ってくれたらいいなって思うよ。

 

インタビュー動画もあわせてご覧ください→YouTube OIGIEチャンネル

 

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