にいじまぐのスットコ編集長がいく!若郷編の後半では何が…?
「スッコト編集長がゆく!若郷」の後編です。前編はこちら
江戸の流人文化が今も残る新島
新島には江戸時代初期から約200年にわたり、流刑地として江戸からの罪人を受け入れてきた歴史がある。罪人の数は、1333人。重罪を犯した人がいれば、ケンカやスリなどの微罪の人もいて、生まれも育ちも罪の軽さ重さも全く異なる流人たちが、新島という小さな島に流されることになった。
彼らは隔離されることなく住民と生活を共にしたため、建築や算術、医療、絵画など、当時最先端だった江戸の技術や芸能が流人を通じて島にもたらされたと言われている。なかには島を支える存在として大変慕われた流人もいて、彼らの墓は島人によって今でも大切に守られている。
そのひとりが、本間七左衛門さん。
といっても、新島の人のなかでもほとんど知られていない人物である。『にいじまぐ』2号で流人文化特集を組んだ際に、いろいろな資料を読んだが、そんな私もつい最近まで知らなかったその人こそが今回の主役である。
「名主さん」と呼ばれた若郷流人
若郷の郷土史家である故・前田萬蔵氏が2006年に出版した著書『若郷昔ばなし』によると、宝暦2年(1752年)、佐渡の名主だった本間七左衛門は百姓一揆の責任を取らされて遠島処分を受け、日本海の島・佐渡から太平洋の島・新島へはるばる流される運命となった。今から272年前のことである。
当時、百姓一揆の多くは農民が主体となって蜂起するものだったが、佐渡の場合は名主などのリーダーたちが悪政に苦しむ農民を救うために立ち上がるケースが多かったといわれている。七左衛門さんもそのひとり。
もともと村を束ねるほど信頼された人物であることや、医術の心得もあったことから、受け入れた若郷の村人からは大変慕われたと記されている。集落内での行動制限はなく、脱走の危険から流人には固く禁じられていた浜への出入りも許されていたようで、通りを歩く七左衛門さんの姿を見ると若郷の人たちは「名主さん、名主さん」と呼んで親しくしたとか。
そんな名主の七左衛門さんは、若郷で1年と少し過ごした後に亡くなり、若郷・妙蓮寺の本堂東側に墓を建てて手厚く弔われたという。そこは代々、住職の墓が建てられる特別な場所。その並びに墓があることから、いかに若郷の人たちに愛されたのかが伝わってくる。ただし、今回のことがあるまでは、
「ダイノハカダヨ(これは誰のお墓ですか)」
「シャーネー(知らない)」
ということで、若郷の人も誰のものだかよく知らなかったらしい。誰だか知らないけど、ずっとお世話されてきたから、自分もそうする。新島ではよくある話である。
本がきっかけで生まれた佐渡との縁
そんなこんなで七左衛門さんの墓は若郷の人たちの手で大切に守られてきたわけだが、故郷・佐渡でその事実を知る人はほとんどいなかったようだ。ところが、上に紹介した『若郷昔ばなし』が偶然佐渡の人の手に渡り、島での様子を知った佐渡の人から「ぜひ慰霊に訪れたい」という話が持ち上がったのが2021年のこと。
コロナ禍で何度か中止を余儀なくされ、今年ようやく3年越しに佐渡慰霊団が若郷訪問を実現。若郷振興協議会の全面協力による交流行事が開催されることになった。満を持しての開催だけに、これは見にいかない手はない!と、仕事場を抜け出して一路、若郷へ。
白くて平たい本村から長い長いトンネルを抜けると、いきなり切り立った崖が現れる。覆いかぶさるような断崖の荒々しい岩肌、その下に整然と立ち並ぶ若郷の家並み。何度来ても一瞬、異世界に来たような気持ちになる。
270年の時を経て、交わされる島の唄と踊り
2024年9月7日、本間七左衛門慰霊団が若郷に到着。七左衛門さんの墓前に佐渡の地酒が供えられ、佐渡の民謡を今に伝える若波会による唄と踊りが墓前に披露された。
動画もどうぞ
佐渡おけさの講習会が開かれるとは聞いていたが、まさかここまで本格的なステージを、こんな間近で見られるとは思わなかった。生歌とお囃子、1曲ごとに衣装を替えて披露される踊りは、どれも凛々しくて、独特の色気がなんともいえず素敵だった。
つづいて若郷からは「大踊」が披露された。年に一度、8月14日の夜に、ご先祖様へ鎮魂の思いをこめて披露される若郷の大踊が日中に披露されるのはきわめて異例のこと。しかも、大踊りが披露されることは、当日まで知らされなかったサプライズだった。
大踊の衣装についての解説が非常にわかりやすくてよかった
行事表には「大踊りのさわり」とだけ書いてあったが、実際は1曲フルフルの披露だった。白と青の鮮やかな衣装にキレのいい佐渡の踊りと、黒と赤の衣装で独特のグルーヴ感がある若郷の大踊。いつになく厳しい暑さのなかで繰り広げられたその会は、夢みたいに幻想的で、すばらしかった。
最後はみんなで佐渡おけさの輪おどり
悔しい。いやー悔しい。こんないいイベントをほとんどの島の人が知らないなんて、もったいなさすぎる! でもきっと若郷の人たちは「シャーネー」と、サラリと言うんだろうなあ。
後で踊り手さんから聞いた話だが、大踊の披露が決まったのは本番2日前だったらしい。急な決定、短い稽古で「まいったまいった」と言いながらきっちり本番ができてしまうんだから、若郷って、本当に不思議なところである。よくわからないから気になって気になって、私はきっとまた行ってしまうのだろう。
ああ片思いって切ない。
text &photo by ソーデー由美