新島のタカベ漁は今
2021年12月29日 更新
新島の夏の味、タカベが食べられなくなる?
2021年の新島で話題になったニュースといえば、「佐五郎丸(さごろうまる)のタカベ漁」が挙げられるんじゃないだろうか。佐五郎丸は新島で長年活動している漁師、前田佐一船長率いる漁船の名前。「佐五郎丸といえばタカベ」といわれるほど地元ではおいしいタカベを水揚げすることで知られ、新島村の認定ブランド品にも選出されている。
内地ではあまりなじみがないけれど、タカベは伊豆諸島を代表する魚として親しまれているスズキ目の魚だ。体長20~30mほどと小ぶりだが、青みがかった体に金色のラインが入った美しい魚で、塩焼きや煮付けにするとふっくらした身から上品な脂があふれだして、とにかく絶品。夏が旬のタカベを楽しみに島へ来る人もいるほどで、移住組の私も新島でタカベに出会い、そのおいしさに衝撃を受けたひとりだ。
「新島村の魚」に選ばれているほど、古くからタカベ漁が盛んだった新島。特に若郷地区では数十人が一体となって行う「大掛網」と呼ばれる漁法が開発され、地区全体が大掛網を行うための漁業組織になっていたと聞く。しかし人材不足などで大掛網は廃れてしまい、今では佐五郎丸が新島で唯一タカベ漁に力を注いでいる船だった。
その佐五郎丸が、漁をやめる。それはつまり、タカベの流通が激減することを意味する。かつては神津島などでも大がかりな漁が行われ、島の暮らしを支えてきたタカベ。そんなタカベ漁の現状を知りたくて、佐五郎丸の前田船長のもとを訪れた。
<今回のゲスト>前田佐一さん
生まれも育ちも新島・原町のベテラン漁師。漁師だった祖父の影響で幼少時代から漁船に乗り、学校卒業後は一時就職するも30代で漁師に転身し、39歳で自身の船「佐五郎丸」を造船。船長としてタカベを中心に新島の海で漁を続ける。また新島消防団団長としても采配をふるい、地元の信頼は厚い。写真は奥様のあさみさんと。
地域ぐるみで海へ出た新島の伝統漁
――この夏「佐五郎丸がタカベ漁をやめる」というニュースが新島内で話題になりました。あのタカベが食べられなくなるのか、来年からどうしたらいいの?という声をたくさん聞きまして、改めて新島の人にとってタカベが本当に大切な魚なのだと思い知りました。そこで、ぜひ佐五郎丸さんにお話をうかがいたいと思うのですが、そもそもタカベ漁はどのような漁なんでしょうか?
佐一 昔ながらの伝統的なタカベ漁というのは、昔から若郷で盛んに行われていたんだよ。「大掛網(*ページ下に解説あり)」という大がかりな漁で、何艘かで船団を組んで魚を追い込むんだ。
佐一 ただ、漁を行うには30~40人の乗り子(船員)がいないと成立しない漁法で、船がどんなに大きくても乗り子がいないことには漁ができない。それで、だんだん乗り子が集められなくなって、跡継ぎがいないこともあって若郷の大掛はなくなってしまった。今、島で長く続けている船は、一人で漁に出られるところだけだね。
それで式根島の船が刺し網でタカベを獲るようになったんだけど、うちらが漁を始めたときは小さい船しかなかったので、シマアジやカンパ(カンパチ)を主に獲っていたのね。昼までシマアジ、カンパを追いかけて、獲れなかったらタカベでも探しにいこうかっていう感じ。そういうパターンで3~4年やっていたら、タカベがたくさん獲れるようになって、だんだんタカベのほうにいったんですよ。
――最初からタカベだったわけじゃないんですね。
佐一 そう。4人ぐらいで漁をやっていたんだけど、それが6人になり7人になり人が増えて、刺し網でタカベを獲れるようにして。その後、若郷から大きな船(第二佐五郎丸)を譲り受けたこともあって、タカベ漁が中心になっていったんだよね。
潮を読み魚群を捉える漁師の目
――タカベは岩礁に多く棲息していると聞きました。どのような漁をされるんでしょうか?
佐一 タカベという魚は岩礁のシモ(下流)にはいないんだよ。大きな岩に潮がぶつかると、岩のまわりに潮がたまる場所ができる。そこにはプランクトンや小魚や、タカベのエサになる魚がいっぱいいて、タカベはそのエサをめがけて寄ってくるんだ。
朝から漁に出ると夕方まで獲れるんだけど、潮次第だね。魚がいるのはわかっているけど、潮が早いと漁ができない。だから、潮がゆるんでくるまで待つこともあるよ。どのポイントに魚がいて、いつ獲るかというのは、長年の経験からしかわからない。
漁の基本は潮目を見ること。潮目は場所によっても違うし、季節によっても、時間帯によっても変わっていく。それを見定めて、漁をするポイントを決めるんだ。日々潮を見ていたから、だいたいどこにいるのかわかるようになってきたよ。そしたら海に入って、魚がいるかどうかを目視する。それで海面に出て、船に向かってサインを出して網を投げ入れるんだ。
――海に入って目で確かめるんですか? 魚群探知機ではなくて?
佐一 うちは魚探は使わないの。泳いで見つける。魚探はどのくらい魚がいるのかわからないし、ある程度しかつかめないからね。ポイントを決めたら、まず1人が海に潜る。魚を確認して、船に向かってサインを出す。海だとお互いの声が聞こえないから、合図を決めておいてサインでやりとりするんだ。
――どんなサインなんですか?
佐一 タカベはこう。黄色い線があるでしょ。
これがカンパ。
これがシマアジ。
これがイサキ。
佐一 これは、うちらだけの合図。見たら、すぐに網を投げ入れる。というのも船には3種類ぐらい網を積んでいて、その日その場所で獲れる魚に合わせて網を使い分けるんだ。どの網を選ぶかは、一瞬の勝負。「あっ、いたぞ!網を取れ!」なんてやっていると魚はもういない。だからサインを出した瞬間に、すぐ網を投げないといけないんだ。
腕ひとつで勝負する、海の仕事に魅せられて
――佐一さんは漁師になってどのくらい経つんですか?
佐一 オレの漁師経験は長いよ。小学校からやっていたからね。昔は原町地区には漁師がたくさんいて、漁船を持っている家がすごく多かったんだよね。うちのじいさんも漁師だったんだよ。それで、じいさんにくっついていろんな船に乗っていたんだ。自分が漁師になったのは、じいさんの影響が大きいね。
中学以降はしばらく間があいたけど、30ぐらいのときだったかな、家の近くで海匠丸という船ができて、また船に乗るようになったんだ。それで「ああ、オレはやっぱり海が好きだな」と思うことが増えて。それで、40になる直前に初めて自分の船を造った。その後、若郷で大きな船を持っていた人が亡くなって、その船を譲り受けることになったことで本格的に漁をするようになったんだ。
あさみ この人、それまで普通にお勤めしていたんですよ。それがある日いきなり「船を造る」と言い出して。初めは何のことだかさっぱりわからなくてね。それまで相談も一切なかったし、結婚して子供が生まれたばかりの頃だったから。
それでも最初はそんなに本格的にやるなんて思わないじゃない。だって、こんなところに住んでいれば、海で遊ぶためにボートの1つや2つ持っている人なんていっぱいいるわけだから。それが「もう1艘買う」となった時に「は?」と。
――ご主人がある日突然、漁師になったということですか⁉
あさみ そうなの。漁師のヨメに来たつもりはまったくなかったの(笑)。大転機もいいところよねえ。
佐一 自分でもまさかこんなになるとは思ってなかったよなあ。それでも沖に出ると「ああ、海はいいなあ、やっぱり好きだなあ」と思うんだよ。それに、昔は貝やトサカ海苔や、口開け(漁の解禁)がたくさんあって、漁の時期は結構稼げたんだ。自分の船を持っていれば、もっともっと稼げるんだからさ。自分の腕ひとつで勝負できる、がんばればがんばっただけ返ってくる仕事というのは面白いよな。
大好きな海が変わってしまった
――この夏を最後に、第二佐五郎丸(大きな船)を手放されたと聞きました。佐五郎丸さんのタカベを待ち望んでいる人も多いと思いますが、漁をやめようと思った理由は何だったんでしょうか?
佐一 やろうと思えば、あと10年は我慢すればできたと思う。でも乗り子やっている人が、うちよりみんな年上だから「(漁に出られるのも)あと2~3年かな」と言われると「そう言わないで、がんばって」とは言えないよね。オレも体がつらくなってきたし、だったら早めに切り上げてもいいんじゃないかと思ってさ。
でも一番のきっかけは、海水温の問題だね。ここ2~3年、とにかく魚が獲れない。だって昨日(10月7日)の海水温、26℃だよ。いつもなら高くても20℃ぐらいなのに。1℃違うだけでも大きいのに、6~7℃も違うんだからさ。生態系が変わってしまっているんだよね。
タカベもうちらが漁を始めた頃は獲れる場所がたくさんあったし、新島でタカベを獲るのはうちだけだったこともあって、よく獲れたんだ。でも最近は、おととしより去年、去年より今年と、だんだん少なくなっている。テングサもいないし、貝類もいない。海の中に、何もないんだよ。はじめは自分でも信じられなかったね。
――夏獲れるものが春獲れる、ということでもないんですか?
佐一 それはない。ただ獲れないだけ。獲れなくても辛抱できるだけの貯蓄があればいいけど、船を維持するには費用がかかる。それで、年齢のこともあって今年で漁をやめようと決めたんだ。
――タカベ漁は佐五郎丸さんがおやめになって、あとは式根島に漁をしている船が1艘だけになったとか。これからタカベは食べられなくなるんでしょうか…。
佐一 式根の船は、うちらより3つぐらい上の人だよね。神津島も前は盛んだったけど今はやめてしまったし、難しいだろうね。網はまだ取ってあるので、来年も小さい船でおかずになる程度に獲りにいこうかという話はしているんだけどね。もともと小さな船で4人で始めたから、いつでも漁には出られるよ。どんだけでもいいから、新島の人にタカベを食べてもらいたいしね。
あさみ 今もテングサとかトサカ海苔みたいに、昔のように獲れる漁があればやっている人もいっぱいいると思うんだよね。勤め人と違って漁師は獲れただけ利益になるのが醍醐味じゃない。もちろん獲れなかった時はしょうがないんだけど、楽しみとかやりがいは大きいと思うよね。
佐一 本当は誰か新島の人が、タカベ漁をやってくれるといいんだけど。新島の冬は西風が強くて漁に出れないから難しい。うちも本当は、1年中魚が獲れるなら、ずっと漁師をやっていたいよ。
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新島に生きる人々が知恵と工夫で編み出し、島の暮らしを支えてきた夏のタカベ漁。「何度沖に出ても、やっぱり海はいいなあ、好きだなあと思う」と繰り返していた佐一さん。さまざまな変化を超えて、新島の海はこれからどうなっていくんだろうか。
Text:宮川由美 Photo:NUMA FILMS(クレジットのない写真)、小澤里江(インタビュー)
*ワンポイント解説*
大掛網(おおがけあみ)
新島の若郷(わかごう)地区で昭和30年頃から行われた、追い込み漁と建切網を融合させた漁法。毎年6~9月頃に漁が行われ、タカベを中心にイサキや青ムロアジなどを獲っていた。
漁ではまず魚群を見つけて海中に大きく網を張り、ムグリ(モグリ)と呼ばれる潜水夫が水深40mまで潜って魚の群れを少しずつ浅瀬へ追い込んでいく。最後は袋網に魚を追い込み、2艙以上の船で一斉に網を引き上げる。長さ2km以上の大きな網を複数の船で操るため、漁を行うには数十人の人員を必要とし、漁も1日がかりで行うという大規模な漁だった。
漁師が多かった若郷では地域をあげて大掛網が行われ、最盛期の昭和30年代後半~40年代中頃には100人以上が漁に出ていたという。人手が足りずに借りだされた高校生が1漁期に30万円以上(現在の価値で120万円程度)を稼いでいたという逸話も。 大勢の男たちが魚を追い込む勇猛な姿を見に観光客が来るほどだったというが、一方で危険が伴う追い込み漁であることや、人手不足などの問題もあり、現在は姿を消している。
*参考資料:2018年度新島村博物館企画展「大掛網」より