特集 連載
流され島のファンタジア
Posted on 2020年6月19日
1333人の流人(るにん)が遥かな離島に残したもの
「なんじ、遠島を申付ける!」
時代劇で時々耳にする、このセリフ。遠島とは、「島流しの刑に処す」ということ。NHK大河ドラマ『西郷どん』でも、西郷隆盛が奄美大島や沖永良部島へ流されたのは記憶に新しいところだ。
絶海の孤島に流された流人というと、皇族や武将など歴史上の偉人か、よほどの極悪人といったイメージがついてまわる。ところが江戸時代になると、島流しはごく一般的な刑罰として定着。多くの庶民がわずかな罪、場合によっては罪もないのに島流しにあった事実はあまり知られていない。
新島にも江戸時代初期から約200年の間に、1300人以上が流されてきたといわれている。彼らは罪人であると同時に、島を支える労働の担い手であり、世界最大の都市だった江戸から最新技術や文化をもたらす貴重な情報源でもあった。
最後の流人が島を離れてから、140年以上。流人がいた時代は幻のように遠く離れてしまったけれど、彼らが残したものは今もなおこの島に連綿と受け継がれている。今回は、そんな〈流人の島〉新島の知られざる歴史と文化を紐解いてみよう。
<目次>
*こちらはフリーペーパー『にいじまぐ』2号(2018年8月発行)の特集記事をWeb転載したものです。記事の内容および写真は掲載当時のままとなっており、一部情報が古いものもあります。あらかじめご了承ください。
【取材協力】十三社神社宮司・郷土史家・前田明永氏、植松正光氏、北村武氏、前田洋子氏、元新島小学校校長・市川英俊氏、新島郷土史研究会・肥田文徳氏、新島村博物館、新島小学校
【参考文献】新島村編「新島村史通史編」、前田明永著「新島流人史」、新島郷土史研究会編「新島流人帳」、荘川村教育委員会編「義民甚兵衛と孝子勘左衛門」、前田石勝著「前田吉兵衛家の歴史をたずねて」、北村武著「島流し 新島に流された人々」、小山啓子著「カラス殿流刑」、渡邊大門著「流罪の日本史」大隅三好著「遠島島流し」