新島トピックス

若郷、それは永遠の片思いに似て。

Posted on 2024年9月15日

おもしろカルチャーに目がない、にいじまぐ編集長がゆく!今回は新島・若郷編をお送りします。

本村と若郷、2つの集落

若郷には、独特の色がある。

山をはさんで南に「本村(ほんそん)」、北に「若郷(わかごう)」と2つの集落がある新島。トンネルを通じて気軽に行き来ができるけれど、本村と若郷では景観から習慣、産業、方言に至るまで、かなりの違いがある。

本村は村役場や学校、飲食店などが点在し、旅行者など人の往来も活発な中心集落だが、若郷には学校や飲食店はなく、昔ながらの住民が多く暮らす静かな集落だ。もともと漁業が盛んだった漁師町で、今では漁師も少なくなってしまったものの、住民同士のつながりや郷土愛は今でもとびきり濃く、強い。本村では既に失われてしまった文化や風習が、若郷では住民の間でしっかりと受け継がれていることも多い。

切り立った崖の荒々しい岩肌、波打ち際に広がる黒い砂浜、崖と海のあいだのわずかな場所に整然と並ぶ石の家並み。気安く近づいてはいけないような、この強くて濃い集落に、島の外から来た私はずっと片思いをしている。

 

 

近づいては遠のく、若郷という未知の世界

3年ほど前にたまたま家族が若郷勤務となり、若郷の情報がよく入るようになった。本村に住んでいると、若郷の情報はほとんど聞こえてこない。知らないうちに何かが起きて、知らないうちに終わっている、そんな感じ。だから家族を通して聞く若郷の話は、どれもこれも初めて知るものばかりで、未知の扉が開くような気持ちでいつもワクワクしながら聞いていた。

コロナ禍で休止していた新島を代表する芸能「大踊」が若郷で復活すると聞いたときは、思いきって「見に行っていいですか」と声をかけて稽古場にお邪魔した。

本村では唄い手の継承者がいないため、録音テープの音に合わせて踊っているのだけれど、若郷ではまだ現役の唄い手がいる。踊りの所作や手扇と呼ばれる扇子の動きも本村のものとは違っていて、時間をかけて練り上げられた歌と踊りが放つ独特のグルーヴに魅入られることもしばしばだった。

その代わりといってはアレだけど、稽古時間がいつなのかわからない、稽古があると聞いていったら誰もいない、なんてこともよくあって、振り回されることも多かった。まあ、片思いにはよくある話である。

新島では消えてしまったと聞いていたヤカミ衆の「神楽(かぐら)」が若郷で復活すると聞いたときも、稽古場に通いつめた。

ヤカミ衆というのは新島に古くから存在した、神に唄を捧げる歌(神楽)を歌う女性集団のこと。島の女性は一定の年齢になるとヤカミ衆に加わり、島内に点在する神社や浜で唄を捧げたといわれるが、本村のヤカミ衆はすでに解散していたので、まさか若郷にヤカミ衆がいるとは思ってもみなくて、聞いたときは興奮のあまりウオオオと叫んでしまった。

記録映像を撮るという名目で集まった若郷のヤカミ衆は、80前後の大ベテランぞろい。初めて聞く若郷の神楽は楽器もなく、アカペラで突然歌い出し、10分15分と続いて突然終わる。なんともつかみどころのないメロディなのだけど、聞いているだけでフワフワといい気持ちになってくるから不思議だ。

いつでも稽古場で優しく迎え入れてくれて、稽古の合間のおばあちゃんたちのおしゃべりも最高に楽しくて、ああこの時間をみんなに伝えられたらどんなにいいのに、と何度も思った。記事にしてもいいですか、とおそるおそる聞いてみたら

「イー、イツマジイキチューカワカーネーダムノオ、スキニケーティキーロヨ(いいよ、いつまで生きているかわからないんだから、自由に書いてくださいよ)」

と言われて小躍りした。

そして3か月後の本番直前、ヤカミ衆の「ヤッパイ、ヤーダヨ(やっぱりイヤだ)」のひとことで、記事はお蔵入りになった。

若郷と関わると、嬉しくて楽しくて、いつもちょっぴり悲しい。

でもまあ、片思いとはそういうものである。

 

若郷に佐渡がやってくる!?

そんな若郷で3年ほど前、ちょっとした噂を聞いた。「佐渡が若郷に会いたいといって、ウンバアらがざわついている」というのである。

佐渡が若郷に会いたいとは不思議に思ったが、どうやら佐渡出身の流人が若郷で暮らした歴史があるようで、佐渡から訪問団がはるばるやってきて、お墓参りを兼ねて唄と踊りを披露するのだという。

それならばと、若郷の人たちがおもてなしをしたいとはりきっているというのだから、これはまちがいなく何か面白いことが起きるに違いない。

そして2024年9月7日。その日がやってきた。

後編へつづく

text by ソーデー由美

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