新島トピックス

新島十三社神社獅子木遣り、令和初の巡行

  • レポート

Posted on 2019年12月15日

新島を代表する伝統行事「獅子木遣り」復活に密着!

令和元年12月8日、日曜日。新島十三社神社で行われる行事のひとつであり、国や村に特別な祝事があるときだけ披露される無形民俗文化財「獅子木遣り」復活の日がやってきた。前日の荒天が嘘のように、当日は雲ひとつない快晴。「絶好の獅子日和だね!」誰からともなく、そんな言葉が飛び交う。

新島に来て4年目の私は、獅子木遣りを見たことがない。島の人に獅子についてたずねると「あそこで見た」「原町のあそこのお父さんは木遣りがうまい」「新町のあんひとはカシラ(獅子頭)だった」と口々に獅子の思い出を語り始め、その言葉の熱さに驚くこともしばしばだった。「どうしてみんなそんなに獅子が好きなの?」と母に聞くと、ひとこと。

「獅子が出る日は、いい日だ」

期待に胸をふくらませつつ、朝から獅子の巡行ルートを確認する。クライマックスの役場庁舎前でどこから撮影しようか思案していると、視界の端にそろいの法被に身を包んだ集団が目に入った。十三社神社に向かう、獅子木遣りの演者たちだ。

ヤダなにカッコいい…

 

神社の本殿前に整列した男衆。白い長袖シャツに紺の腹がけと股引、はちまき姿が獅子の中に入る胴柄衆、柄シャツに紺法被姿が木遣りを歌う音頭衆だ。腰巻のブルーが雄獅子を率いる新町チーム、黄色が雌獅子を率いる原町チーム。2つのチームで獅子木遣りを披露する。

 

獅子木遣りは、古くから新島にあった獅子舞と、江戸時代に神田から流刑によってやってきた火消し(現代の消防団員といったところか)が伝えた江戸木遣りが合体して生まれたといわれている。江戸初期から約200年にわたって流人を受け入れてきた、流刑地の歴史を持つ新島。江戸からやってきた流人たちは隔離されることなく島人たちと生活を共にし、そうした日々の中でさまざまな技術や芸能を島に伝えたといわれる。獅子木遣りも、そうした流人文化のひとつだ。

木造長屋がひしめきあう江戸の町では、一度火事が起きるとあっという間に周囲に飛び火して多くの命を奪った。そんな恐ろしい大火と立ち向かう火消し衆は、町民にとって憧れのヒーローだ。獅子木遣の木遣りは、そんな火消しが伝えた江戸木遣りが独自に進化したものといわれ、装束もどことなく火消しをイメージさせる。

他にも、祭り囃子がないのは流人が太鼓のバチや笛を武器にして島を脱走しようとするのを避けるため、ともいわれる。島の芸能が形を変えてしまうほど、島人と流人は身近な存在だったということだろうか。

 

 

宮司によるお祓いを受けた後、一団は奥の院から出された獅子頭を受け取る。そのまま隊列を組み、通称鈴門と呼ばれる山門を出て二の鳥居前に整列。神の化身である獅子に魂が宿る、獅子木遣り最大の見せ場「鈴門出し」のはじまりだ。

 

 

カーン、カーン。シャラシャラシャラ。宮司の合図で、拍子木と錫杖の音が鳴り響く。静寂を切り裂く音に呼び起こされるように、雄獅子がぶるぶると頭を振りながら立ち上がった。

「ゥオーーイ、オーーオオーーヤーリオーィ」

音頭衆の力強い木遣りを背中に受けながら、雄獅子が石の冷たさを確かめるようにゆっくりと階段を降りていく。カーンカーンと、ふたたびの拍子木。雌獅子が動き出す。雄は大きく荒々しく、雌は小さく揺れながらしずしずと。神々しく輝く頭に白い身体、10本の足を持つ2頭の聖獣がこの世に降り立った瞬間に思わず固唾を飲む。

 

胴柄衆と呼ばれる獅子メンバーは、頭(カシラ)と呼ばれる先頭から最後尾の尻尾まで、5人が一体となって獅子を舞う。軽快に動く一般的な獅子舞と違い、新島の獅子は低くゆっくり、のしのしと動く。抑制された体勢から時折くりだす獅子頭のすばやい動きが、独特の緊張感を生み出す獅子舞だ。

なんとも謎めいた獅子の動きに目を奪われ、夢中でカメラのシャッターを押しまくる。ファインダー越しに獅子ばかり見つめていたので、なにげなく進行方向に目線を移すと…。

どわっ

 

いったいどこから湧いてきたのかと思うくらいの人だかりが、今か今かと獅子のお出ましを待っていたのだった。神の化身である獅子に頭をかまれると無病息災、長生きできる、頭がよくなる、幸せになれるといったいわれがあり、我先にと皆が獅子に頭を差し出す。獅子の大きな顔が近づいて恐怖におののく子どものギャン泣きも、あちらこちらで発生。

すさまじい人気

 

人だかりを縫って、一同は2番目の見せ場である参道横の宮司宅へ。音頭衆が庭から木遣りを歌い始めると、家の中に雄獅子が入ってくる。音頭衆は木遣りで獅子を操り、木遣りを聴いて獅子は動きだす。木遣りと獅子舞、どちらが欠けても成立しないのが獅子木遣りの面白さだ。

 

こんな風に家の中で獅子舞が行われるところを、初めて見た。ましてや長い肢体の獅子だ。その長い獅子が雄と雌が交代で家に上がり、親族がずらりと並ぶ部屋を埋め尽くす勢いで動きまわり、上座に座る宮司の膝に頭を乗せて寝こむのだ。

家の中に大きな獅子がいる不思議な景色

 

大祭(おおまつり)という、集落をあげたお祭りが行われるときには、獅子は島の重役などの家に上がって舞と歌を披露するという。家に獅子がくるというのは大変な栄誉であり、ホスト一家は畳を新しく張り替えて獅子を迎え、音頭衆や胴柄衆らに食事をふるまい、寝床を提供してもてなしたという。その調子で何軒も回るので数日がかりだったというが、大祭はすでに20年間行われていない。

 

宮司宅での演舞を終えると、一同は大鳥居を出て集落の中へ。当初は鈴門出しで終わるはずだったというが、今年、新島は台風15号、19号で甚大な被害を受けた。いまだ被害に苦しんでいる人が数多くいるなかで「島の人たちに少しでも喜んでもらいたい」と、新島村役場まで練り歩くことに決まったという。本来は大鳥居から雄と雌が二手に分かれ、村の中を練り歩くのが正規ルートだが、今回は雄雌そろって歩く特別バージョンだ。

大鳥居から役場までの道中は、2人の高校生が獅子頭を持って歩く。島の未来を担う若手をお披露目する意味があるのだという。

新島村役場庁舎前に着くと、こちらもまた大勢の見物客が庁舎前広場をぐるり囲んでいた。拍子木と錫杖の音とともに、3回目の舞が始まる。

ゆっくりと青沼村長に近づいていく雄獅子

 

なついてくるかと思わせて

 

くわっ

 

ごろにゃん

 

くわっ

 

さすが聖なる獅子様、かんたんには人間になびかないのかと思ったら、

最後はまさかの膝枕

 

村長の膝枕で寝込んだツンデレ雄獅子を見て、今度は雌獅子が動き出す。低く、ゆっくり、しずしずと。

 

しずしず

 

ちょこん

 

獅子頭はなかなか恐ろしい顔なのだけど、10本の足がもぞもぞと動くさまといい、甘えるような仕草といい、なんともいえない愛嬌があって心を鷲づかみにされる獅子舞だ。

 

むくっ

 

ウォーッ

 

島の重鎮の膝で寝込んだ獅子は、しばらくしてむくりと起き上がり、名残り惜しそうに何度も後ろを振り返りながら、音頭衆の元へと帰っていった。そんな獅子を島の人たちが待ち構える。最後のカミカミタイムだ。大きな獅子の頭が近づいて、子どもたちはギャン泣き。その横には「百まで生きねえとなんねえから」「これ以上ボケないようにオイも噛んじよ!」と帽子を脱いだウンバア(おばあちゃん)の大行列が。

 

陽の光を浴びて金色に輝く獅子。

そのまわりを、みんなが笑いながら見つめている。

目の前に広がる幸せな景色に、胸が熱くなる。

 

獅子の出る日は、いい日だ。

 

 

 

楽しい時間も、いつかは終わる。ふたたび高校生の獅子頭率いる一団は、木遣りを歌いながら来た道を通って十三社神社へ。

 

2頭の獅子は最後まで互いを気遣うようにしながら、一歩また一歩とゆっくりと歩いていく。

そして二の鳥居の前で、ひっそりと消えた。

 

 

***

 

12年ぶりの復活となった、今回の獅子木遣り。一団に同行してみて、いかにこの伝統行事が島の人たちに愛されているのか、しみじみと感じることができた。島にとって獅子木遣りは幸福をもたらす行事であり、「獅子が出る」それ自体が何よりもうれしいことなのだ。獅子を見て「オイは涙がじゅうよ(出るよ)」という人、両手で拝む人の姿もあちこちで目にした。どうかまた近い将来、このすばらしい景色が見られますように。

余談だが、獅子が終わった翌日から、島の子どもたちの間でぬいぐるみを獅子頭に見立てた子獅子が大流行中(エ〜ヤ〜の木遣り付き)。彼らがやがて大きくなり、本物の獅子を演じる。そんな日が来ることを、切に願いたい。

 

文・写真:秋枝ソーデー由美 トップ写真:小澤里江

トピックス インデックス