小澤里江コーチ インタビュー
2019年12月22日 更新
創設メンバーにしてプロ和太鼓奏者のコーチが、太鼓部に願うこと
全国的にも激戦区として知られる東京都大会で、毎年入賞&個人賞を獲得する新島高校和太鼓部。その縁の下の力持ちとして、生徒に寄り添っているのが小澤里江コーチです。20年前に自らが太鼓部を立ち上げ、その後は全国のさまざまな伝統打法を習得して「踊らせる和太鼓」という独自のスタイルを確立。さまざまなミュージックシーンでプロの和太鼓奏者としても活躍していた「さとコーチ」が今の太鼓部に思うこととは?
コーチの小澤里江さん
「自分たちは足りてない」と気づけた収穫は大きい
―まずは今回の都大会について、率直な感想をお聞かせください。
1年生が大半のメンバーで挑んだという意味では、ベストを尽くせたのではないかと思います。「全員がベストを尽くす」という目標は達成されたと思いますが、ベストを尽くしたからこそ「頑張ってもできなかったこと、足りなかったこと」というのが、とても明確になったと思います。
一番大きいのは、みんな計算ができていなかったということですね。まず、体力のペース配分。他校に比べて圧倒的に本番演奏の数が少ないから、舞台で自分がどういうコンディションになるかというイメージができていなくて、ペース配分がきちんとできていなかった。だから後半でバテてしまって、それが表に出てしまったなと思います。
それから、普段の練習の積み重ね。毎日どれだけの時間を太鼓に費やしているかという積み重ねが、舞台演奏ではハッキリと出てしまいます。ただただ時間を増やすことが大事というわけではありませんが、今回は「練習が足りていなかった」という事実が結果として出たかもしれません。出演したみんながどう感じたのか、気になるところです。
でも1年生の話を聞いて、悔しい気持ちはあったでしょうけど結果をちゃんと受け止めたというのはすごく良かった。上位の高校に対して「あんな高校より自分たちのほうがすごい」と言う子は1人もいなくて、他の学校をちゃんとリスペクトしている。いただいた評価についても図星だったと言っていたし、受け止め方が素直ですごく良いなと思います。
――銀賞という結果について、コーチはどう受け止めましたか? 生徒たちは金賞をめざしていたようでしたが。
金賞をめざすことはいいと思うけれど、やはり1年生にとっては島外で経験する初めての舞台。いわばデビュー戦ですから、相手を知らないので無防備すぎたし、何も知らない状態で勝ちに行くというのはすごく難しいことです。だから今年は経験の年でいいのかなと思っていました。一番大事なのは、自分たちと同じ土俵で戦う子たちの演奏を見ること。そこを知らないと、勝てないと思います。なので、私は銀賞でよかったと思っています。
競争のない島で、大会をめざすということ
――確かに他の高校は発表の場も多いでしょうし、他校の演奏を聴くチャンスもありますよね。そう考えると、離島の和太鼓部というのは内地の学校に比べてハンデが大きいといえます。その上、今年の新島は台風15号、19号をはじめ、悪天候が続いて島内のイベントがほぼ全滅。島内でも発表の場が失われました。
そうなんですよね…。だから、生徒たちにとってはハードな経験だったと思います。そもそも新島の子たちって闘争心が無いんですよ。子どもが少ないから、小さいときからまわりに戦う相手がいない。だから、そういう環境の中で「勝ちたい」と思い続けるのってすごく無理があって、こういう大会で見て聞いて感じて自分がどう思うかというのがとても大事なんです。
ただ教えていて面白いのは、学年によって捉え方が全然違うことですね。「自分たちは勝ちに行くとか、別にいらないです」という代もあれば、「楽しく太鼓を叩ければ満足」というスタンスの代もあって、1年でガラっと雰囲気が変わったりするんですよ。でも私は、それはそれで全然良いと思っています。何が正解かというのは、メンバーで決めることですから。
今年の1年生はわりと「勝ちたい」という思いが強いので、そういうチームになっていくのかなと思っています。私は自分の高校時代は闘争心しか無かったので(笑)、今の子たちの気持ちはめちゃくちゃ理解できる。「あそこまで行きたいから頑張る!」っていうのがわかるから、そのために何が必要なのかを伝えることができますね。
対照的に、2年生は全体のバランスを重視するというか、みんながやりたいほうに向かえるタイプが多いですね。1年生は競争には向いているんですが、本当に勝つにはそれだけではダメで、2年生のようなバランサーも必要。そういう意味では、いいチームになりそうな気はします。
――コーチにもいろんな指導法があると思いますが、さとさんは生徒の気質や希望に合わせて指導法を変えているということでしょうか?
そうですね。おそらく他のコーチに比べると、私の指導は独特だと思います。まずは、その代の子たちが一番やりたいことをさせる。その中で、「この子たちに一番合うスタイルはこれだな」というのを、自分の引き出しの中から探して導いてあげたいと思っています。そのためには、話し合いをめちゃくちゃします。全体ミーティングも何度もしますし、個人面談もします。
――部活で個人面談!?
1人ずつじっくり聞きますよ(笑)。東京の高校太鼓部って大人数のところも多いし、システムができ上がっていますよね。これまで他の高校でも太鼓を教えてきましたけれど、個人面談スタイルが取れるのは新島高校だけ。他の高校は学校としての方針が決まっていて、学校から依頼されたことを私なりの解釈で受け止めて技術指導をするという形です。
でも新島高校のような少人数チームの強みって、みんなでとことん話し合って決めていけることだと思っています。とことん話して、みんなでどう折り合いをつけていくか、その折り合いがいかに美しくなるか。それが新島では一番大事だと思っています。だから新高では「私とあなたたちと3年間でどんな取り組みができるだろう?」ということから一緒に考えます。たまに全然関係ない世間話とか恋愛相談もしたりしますけどね(笑)。
私が新高でコーチを始めたころ、生徒たちは話し合いの時間を作っても面と向かって話せない、議題を考えられない、仕切れない…話し合いがまったくできなかったんです。そこはこの何年かですごく強化されたと思います。ちゃんと自分で考えて話せるようになってきた。話し合いって、しんどいんですよ。新島では小さいころからずっと一緒にいる仲間たちだから特にしんどい。知っている者同士で、心の奥をこじ開けていくわけだから。
みんなミーティングは嫌いだと思うけど、そこは超えていってほしいです。だってみんな、人形ではないから。自分たちが納得していない演奏って、聴いていてもつまらないですよ。逆に多少技術が無くても自分たちの心が決まっている演奏というのは、聴いていてワクワクします。それくらい演奏に違いが出ると思っています。
新島高校和太鼓部が生まれた背景
――新島高校に和太鼓部が創立されたのは約20年前の1998年。そのときの発起人は、さとさんだそうですね。新島では伝統芸能としての太鼓文化はなかったと聞きましたが、そんな中で太鼓部を作ろうと思ったきっかけは何だったんでしょうか?
太鼓部は私が3年生の夏に立ち上げたんです。
――えっ! 高3の夏!?
そうなんですよ、受験のまっただ中(笑)。ホントにとんでもない話なんですけど、当時の私は進路が決まっていなくて、どうしていいかわからなかったんですよ。でも、とにかく太鼓が叩きたくてしょうがなくて。
それまでは風神組という、新島で初めてできた和太鼓チームに入っていたんです。大人の中で、私ひとりが高校生で。でもずっと太鼓をやりたくて、初練習の時には譜面を全パートを暗譜していったくらい。めんどくさい熱さでした。初舞台も早くて、始めて1ヶ月後に鳥羽一郎コンサートのバックに立つという華々しいデビュー。その舞台があまりにも気持ちよすぎて、この快感をもっと味わいたい! と思っちゃって、その後の人生に甚大な被害を与えることになったわけですが(笑)。
とにかく風神組の練習だけでは物足りなくて、「私はもっと太鼓が叩きたい!」と高校の先生に言ったら「そういう子は大体部活に入るよね」みたいなことを言われまして。「じゃあ太鼓部を作ります!」と言って、作ったんです。受験間際に(笑)。ちょうどそのころ、何年か上の先輩が高校で太鼓演奏をしたことがあるという噂を聞いて、調べてみたら確かに何かの企画で1回だけ演奏をしたという記録が出てきた。しかも、なんと高校に太鼓があった!
それで「もうすぐ新島高校50周年記念式典があるから、式典でそれを復活させるという名目で太鼓を演奏しましょう!」みたいな勢いで、仲良しの友だちと先生を無理やり巻き込んで太鼓同好会を作って、オリジナル曲を演奏しました。
――いきなりオリジナル??
自作です。もはや誰にも聴かせられない仕上がり。でも朝も昼も関係なく、あまりにも夢中だったので、職員室で「あの子ちょっとおかしいんじゃないか」と議題に上がったくらい、ずば抜けてアホだったと思います(笑)。でも、そこで先生に「そこまでみんなを巻き込んだんだから、将来は太鼓やるよね? そうならないとダメだよね」と冗談半分で言われまして、ずば抜けてアホだった私は素直に「はい、必ずやります!」と答えて、その通り太鼓奏者になりました。
でもまさか、高校の太鼓部がここまで続くと思っていなかったんです。ただ、私が巻きこんでしまった先生が地道に繋げてくれていて、私が卒業した5年後、2人の妹が新高生だったときに同好会から太鼓部へ昇格しました。とはいえ当時の自分は奏者としてのスキルも指導者としての引き出しも無かったので、本格的に太鼓部に関わるようになったのは5年前からですね。私の師匠である内海いっこう氏に太鼓部の指導をお願いし、アシスタントとして関わるようになりました。そこで取り入れたのが「横打ち」というスタイルです。
「横打ち」が島の子を目覚めさせる
――横打ちというのは長胴太鼓を横向きに置いて打つ打法で、足腰を低く落として打つため体に非常に負荷がかかる、難易度の高い打法ですよね。「新島高校といえば横打ち」と言われるほど、今では新高太鼓部は横打ちが代名詞になっていますが、和太鼓にさまざまな流派や打法がある中で横打ちにこだわった理由は何でしょう?
私が内海師匠に弟子入りしたキッカケは、横打ち演奏がとにかく凄まじかったからなんですよ。横打ちはプロでもやっている人が少なくて、日本でも本当に数少ない打ち手しかいなくて。その中でも内海さんの横打ちは群を抜いていた。生で聴いたときは、鳴りがすごすぎて演奏後しばらく動けなかったくらいでした。この横打ちを私もやりたい! そして後輩たちにも体験してもらいたい! というのが最初でした。
それともうひとつ、私も含めて新島の子って環境的にふんばる機会が少ない、ということがあります。島の人はみんな子どもに優しいし、人数が少なくて競争もないから精神的に追い込まれることが無いまま育っていく。でも島の子は慣れていないだけで、内には必ず熱いものがあるんですよ。それに、根っこのところがすごく強い。
横打ちをやることで、そんな秘めている部分が出てくるんじゃないかという予感があったんです。横打ちは、精神的にも肉体的にもしんどい。忍び耐えてこそ生まれる音というのは、島で生きる厳しさにも通じるものがあると思います。ふだんは穏やかに暮らしている16歳、17歳の子たちが追い込まれたときの爆発力とか、自ら殻を破っていく瞬間というのは、島の子にしか生み出すことのできない感動じゃないかと思っています。
――実際のところ、生徒たちの反応はどうなんでしょう? 文化部とは思えないハードさですよね。
最初は何もわからず言われた通りにやっていて、「きつい、しんどい、もうやだ」とブツブツ言っているんですが、少し打てるようになってくるとランナーズハイみたいな「太鼓ハイ」のゾーンに突入する瞬間があるんです。何も指示していないのに「まだまだー!」みたいに勝手に盛り上がるという現象が起こって、「あっ、これはイケるな」と思いました。
今では「新高といえば横打ち」というのが都内の高校の間にも広がっていて、みんな新高の演奏を楽しみにしてくれているんですよね。その反面、大会の審査員から横打ちのクオリティを求められるところはあったと思います。そこはもう自分たちでレベルを上げるしかないから、みんなで乗り越えてほしいな!
私は太鼓部のみんなには、奏者として成長させてあげたいと思っています。太鼓好きです! というだけではなく、楽器としてちゃんと太鼓の「音」を奏でられる奏者になってほしい。音を奏でられないと、楽器をやっている人とはいえません。太鼓部のみんなは、まだそこまでたどり着けてないと思うので、一人一人がちゃんと奏でられるオンリーワンの奏者にしてあげたいんです。そして、それぞれが自分の「音」を持ちよって、セッションできるようなチームになったら最高ですね。
――最後に、太鼓部にメッセージを。
新高ではかれこれ20年間、太鼓をやってきたわけですが、一度も練習に苦情が来たことがないんですよ。それは本当に凄いことだと思います。あれだけバンバン大きな音を出して、ご近所にも聞こえてるはずなんですけど、誰からも「うるさい」と言われたことがない。それは島全体の理解がないとできないことなので、そこが新高の太鼓部としては1番の強みかもしれません。都内では絶対にできないことだと思います。
でも島の人は、ちゃんと聴いているんですよ。だから気合いの入ってない演奏はバレバレで、「今日はどうした?」みたいにすぐに言われます。20年聴いている島の人のほうが耳が肥えてるっていう(笑)。新島では文化としての太鼓はまだ浅いし、島民の誰もが太鼓を叩けるわけではないんです。でも島の人の太鼓に対する思いが、すごくあたたかいんですよね。それは代々太鼓部で歴史を積み重ねてくれた卒業生たちや、顧問の先生のおかげでもあります。自分たちがいかに多くの人に支えられているのか、感じながら打ち込んでほしいですね。
そして新島高校和太鼓部が、これからの新島の太鼓文化を作り上げてほしい。新島から全国、世界へと発信してほしい。そしてそこに私も関わっていけたらと思います。
そんな小澤コーチが指導している新島高校和太鼓部についてはこちら!↓