交流拠点の閉店を決めた理由を小澤店長に訊く
新島港から本村集落へ進むと、メインストリート沿いに見えてくるのが、石の壁をツル植物が覆う1軒のお店。新島独特のコーガ石造建築の保全と、空き家の利活用をめざして活動する新島OIGIE(オイギー)が、空き家利活用物件第1弾として運営している「交流スペースまると」です。
元祖島寿司の名店として愛された「まると寿司」の屋号を引き継ぎ、長年空き家となっていた店舗を補修しながら「島に来た人と島で暮らす人が気軽に交流できる場」をめざして2018年1月にオープン。カフェやバー、シェアスペースなどさまざまな形で活用を行なってきた。弊誌にいじまぐも創刊号から編集拠点として利用してきたが、このたび2020年7月31日をもって閉店することとなりました。
島外にもファンを増やすなど、新島の新しい顔として定着しつつあった営業3年目。コロナ禍で休業や短縮営業など多くの店が試行錯誤を続けるなか、まるとがあえて「閉店」の道を選んだのはなぜなのか。新島OIGIEの代表で、まると店長をつとめた小澤里江さんに話を聞きました。
交流スペースまると。コーガ石のざらざらした表面にツタがからまり、なんともいえない雰囲気を作っていた
リノベ完了!ようやくフル稼働できるはずが…
「まると」は島寿司の名店として知られた「まると寿司」の店舗跡をお借りして、誰もが気軽に立ち寄れる交流スペースとして開放した場所です。私たち新島OIGIEが活動拠点となる場所を見つけられず困っていることを知り、まると寿司の大将とおかみさんから「島のためになるなら」と貸していただいたのが2017年春のことでした。
まるとは外壁、内装はもちろん屋根までコーガ石でできた、伝統的な新島の石造建築です。ツル植物がざらざらしたコーガ石の壁を這っていて、たたずまいがいいんですよね。家を使うにあたって「どんな風に手を入れてもいいよ」と言われていましたが、昔ながらのコーガ石の家や、いろんな人が集まったまると寿司の雰囲気をできるだけ残したいと思いました。
とはいえ長年空き家だったこともあり、広い敷地内でそのまま使えたのは寿司屋のホールだった場所と、和室の休憩室のみ。1年間は館内の片付けと補修、あとは雑木林みたいになっていた中庭の開墾に明け暮れ、翌年ようやく開店にこぎつけました。
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その後も補修を続けつつ、貴重なコーガ石の家をどうすれば維持できるのか、石工さんや建築家の話を聞くなどして模索してきました。けれど建材に使われているコーガ石は、一度水が中に染みこんでしまうと浸水を止めることが難しい、ということがわかってきたんです。ここまでくると個人の力では難しいと判断し、昨年8月末にOIGIEを一般社団法人化。組織基盤を強化できたところで、コーガ保全や空き家利活用事業を本格化させようとした昨年9月、台風がやってきました。
致命傷となった台風被害
千葉などで甚大な被害を出した台風15号は、新島にも大きな爪痕を残しました。台風には慣れっこの新島ですが、想定をはるかに超える暴風と豪雨にさらされ、飛来物がガラスを突き破ってまるとのホールに乱入。室内を暴れ回った挙句に天井を突き破り、コーガ石の屋根が大損害を受けてしまいました。
大工さんに見てもらったところ、コーガ石の屋根を残す形で修理するとしたら約200万円くらいはかかるのではないかという見積もりでした。賃貸している立場、しかも契約終了まであと少しという時期だけに、自力での屋根修理をあきらめるしかありませんでした。
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その後も何か他の道はないかと試行錯誤しましたが、天気が荒れるたびに雨漏りはひどくなる一方。コーガ石の雨漏りは、石のどこから水が滲み出ているのか石工さんでも判断が難しいんだそうです。そうなると雨漏り対策もできないから、天気のよい日だけ電気を使わずに開店するという、ランプカフェみたいな営業スタイルしかできない(笑)。
それもまたいい味になるのが、まるとという場所の面白いところで、「雨が降ったら店内に傘でもさそうか」なんてお客さんと話していたところに、今度はコロナがやってきました。
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大事な場所だからこそ、撤収を選んだ
新島は東京の島ですし、島を訪れる方のほとんどが東京から来るお客さんです。当然ながら新型コロナウイルス対策も東京の方針に従う形になり、まるとも3月から休業しています。その後、島内の飲食店や民宿はアクリル板やビニールなどを設置したり、テラス席を作ったりしながら営業を再開していますが、私たちがさんざん悩んだ結果、選んだのは「撤収」という道でした。
カフェやバーとして営業してきたので、「まると=飲食店」という印象が強いかもしれませんが、飲食は気軽にお店に入りやすかったり、他の人と話すきっかけとして手がけていたもの。まるとで本当にやりたいのは交流です。それだけに、建物のあちこちが痛んで万全の状態でないうえに、感染予防でアクリル板やビニールをつけての『交流』がどうしてもイメージできませんでした。
なによりここは「まると」という大事な屋号を引き継いで運営している場所です。万が一ここで誰かがケガをしたり、感染者が出たりするのは本望じゃないというか、まるとの名に傷がつくぐらいなら店を手放すことはたいしたことではないと思ったんです。家族がコロナにかかってほしくないのと一緒で、まるとのお父さんお母さんとの信頼関係があるからこそ、撤収という決断をすることにしました。
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みんなが心配した店!?
「いつからお店やるの?」と、今でもいろんな人に声をかけられます。次は何をやってくれるんだろう?と期待して待ってくれる人がいるのは素直にうれしいですし、観光シーズン中の閉店は申し訳ない気持ちでいっぱいです。まるとはたくさんの人に手伝ってもらったことで開店できたお店なので、こっからもう一段階盛り上げられなかったことだけが心残りですね。
まるとみたいに、周りのみんなが心配するお店ってあまりないんじゃないでしょうか(笑)。そもそも最初からつまづいた活動でした。東京のメンバーたちがいつでも泊まって集まれる場所に!と思って借りたのですが、場所のことだけを考えていて、島外の人がコンスタントに島へ足を運べるシステムを作りきれなかった。
その結果、メンバーが来島する回数はどんどん減ってしまって、拠点を作ったのはいいけど使う人がいない…という状況になりました。これが離島での活動のリアルというか、この活動の中で一番しんどかったのはその時期かもしれません。
こんなに大きな建物をどうしたらいいのか途方に暮れてしまっていたんですが、気がつくと中庭の草が刈られていたり、ゴミが片づいたりするようになって。心配した島の人が、なにかと助けてくれたんですよね。そのうち大工さんがちょこちょこ手を入れてくれて、今度は島の若手たちが仕事の合間を縫って廃材を集めてリノベしてくれて。
そうやっていろんな手が加わって、島の人が集まる場所になりました。そこに旅行のお客さんや移住したい人がやってくるようになり、自然と交流が生まれるようになったんです。あの場所だったからこそ、まるとは交流スペースになれたんだと思います。
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やりたいことができた、だから次へ
営業を続けられないのは残念ですが、でも不思議と後悔はないです。というのも、まるとでやりたいことはほとんどできた気がするから。昨年8月に東京からウクレレシンガーの宮 武弘さんを招いて中庭でライブを企画したのですが、地元のミュージシャンたちも全面協力してくれたり、裏方には近隣の神津島の友人たちが助っ人として手伝いに来てくれました。
そして客席では地元の人も旅行のお客さんも、若いグループも年配のご夫婦も外国の人も、みんな一緒になって盛り上がっていて。うん、私がまるとで見たかった景色だな。と、そのとき思ったんです。
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トライアンドエラーをくりかえしてきた道のりですが、空き家利活用物件としてのまるとはあのライブがひとつの到達点だったんじゃないかと感じます。だからこそ「よし、次へ進もう」と思えたというか。
イベントが何もない日でも高校生が集まってきてくれたり、席は埋まっているのに誰も何も注文しないから売上ゼロっていう謎の日もあったりしましたが、いろんなトライができたという意味では本当にいい場所だったと思っています。
まるとを運営したことで、コーガ石建築を保全する難しさを身をもって知りました。台風にやられてしまったのは想定外でしたが、どちらにしてもコーガ石の家は劣化が激しく、専門家の手が入らないと維持することはできません。賃貸物件でどこまで補修すればいいのか、悩ましい問題ですが、今後はこの経験を生かしてOIGIEの活動をしっかりさせていきたいなと思っています。
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次の拠点ですか? もちろん、見つかってないです(笑)。コロナ禍で事業計画も狂ってしまったので、これから何ができるのか、まだまだ手探り状態です。でも、またどこかでコーガ石の空き家を使うことができたら、その場にとって一番いいスタイルを考えていきたいです。交流スペースかもしれないし、全く違うことをするかもしれない。そこは柔軟に考えていけたらと思っています。
そして、まるとの建物はまた空き家になってしまいますが、これから新島へ移住する人にとって私たちの活動がコーガ石の空き家を活用するひとつのヒントになればいいな、と思っていますし、コーガ建築の保全とは引き続き関わっていく予定でいます!
次ページでは、まるとを通じて生まれた交流と、関係者のコメントをまとめました。
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